年少さんでひばりと大の仲良しだった Mちゃん
鼻筋が通った 大人びた顔立ちの背のスラッとした(モデルの長谷川潤のような…)女の子でした。お父さんの仕事の都合で 年少の冬に関東へ転居されるとき うちが双子なのでMちゃんの体操服などをいただいて今も大事に着ています。。
それまでお母さんとお話するのも挨拶程度だったので、昔からテルミーを持っていると聞いた時は驚きました。ご縁があったんでしょうね~って。 『こっちにいる時に習いに行きたかったです…』
お母さんの言葉が 今でも思い出されます。
年中になって 秋くらいだったでしょうか…
突然 電話をいただいて 『うわぁ。お久しぶりですね、元気ですか?』なんてお話を聞いてたら ご主人が引越してからしばらくして心筋梗塞で亡くなったそうで… それでも びっくりしたのですが お母さん自身に子宮ガンが見つかり テルミーでなんとしても 治したいので どうしたらいいですか? というご相談で。。アタシはかなり動揺してました。
お母さんはMちゃんのことを想うと 絶対死ねませんから がんばりますよ!って とても前向きな声でした。
それから 燻蒸をオススメしてテルミーの残線を大量に送り 近くの先生をご紹介したりして 医療とテルミーの二本柱でがんばってみえました
Mちゃんはお祖母さんに預けられて 幼稚園もしばらくいけないときがあったそうですが、そんなお母さんを支えるようにどこでも馴染んでいたようです。時々写メが送られてきて相変わらずカワイイねってこども達と見ていました。
抗がん剤治療で入退院を繰り返している頃 3.11の震災。
関東もかなり揺れましたから Mちゃんもしばらく 揺れに敏感になっていたようでしたがみんな無事だったと聞いて安心しました。
こども達とMちゃんも会わせたいし アタシもテルミーをさせてもらいたいし 家族で伺いますね、と話してたのですが 震災でそれも 先伸ばしになっていました…
最近 テルミー線も送ってないけど どうしてるかなぁと思っていた昨日 一通のハガキが届いていました。
昨年11月に お母さんが亡くなられたという悲しいお知らせでした。48歳でした。
Mちゃんのお祖母さんからです 『突然のお知らせで申し訳ありません。テルミーの件ではいろいろとお世話になりました。入退院を繰り返すなか、在宅中は毎日かけてやりました。Mは元気にしております。彼女にとって大変なことの連続でしたが健気に頑張っています。』
と。
言葉が出ませんでした。
両親を亡くしたMちゃんはどんな気持ちでいるんだろう。 Mちゃんを残して 逝かなければならなかったお母さんの想い。 娘を先に見送ることになって 孫と二人残されたお祖母さん。
行こうと思って なかなか行動できなかった アタシ自身。
こんなに悔やまれることはありません。
何もしてあげられなかった。 無力感でいっぱいです。ただただ涙がこぼれます。
Mちゃん 強く生きていってほしい… きっとたくさんの幸せが待っているでしょう。
想いは行動にうつさなきゃ もったいない。いつか…はないんだ。命はいつ限りがくるか わからないですもんね。病気でなくても… 。
毎日を もっともっと 大事に使わなければ と思わされました。