日本が沈んでしまうかと思った…3.11。
アタシは岐阜の勉強会の帰りに 一年ぶりくらいに仙台の知人からメールをもらい近況を知らせていました。
『(仙台)きてよ~』『でも地震恐いね…』と返事したのが14:25。それきり 返事がなくアタシは自宅に到着。
その後 主人や母から電話が続き 地震があったことを知りました←歩いてたからか全く気づかなかったんですよ…(翌朝の地震も爆睡でしたが)被害の大きさは時間と共に明らかになってきて 映画でも見ているかのような信じられない光景と死者、行方不明者の数 。
津波の怖さも 今回初めて知りました
家や車がミニチュアのように流され大破…
生き埋めになった家族を想い泣き崩れる人
余震にビクッとなる子供
思い出の仙台空港、仙台港の変わり果てた姿
裸足で逃げてきた泥だらけの足
原発の爆発
避難所の朝
見ていていたたまれません…こちらは昨日と何も変わらない朝が始まる。なにか罪悪感にも似たような感覚に襲われます。
画面でみるものが現実なのかわからなくなったり。献血や節電、救援物資で遠く離れていても何かできることがある。
そしてアタシたちは生きている
家族が一緒にいる
食べるものがある
暖かい家や毛布がある
仕事がある
ケンカできる相手がいる
ただ特別でもない平穏な1日を過ごすことができる。当たり前にあることにこんなに感謝することはありません。
満たされているエネルギーを被災地に向かって少しでも発信しよう!街の復旧に向けて祈るばかりです。
知人は…あれから連絡がつかなくて不安で涙が溢れて仕方ありませんでした… 翌日メールが届きました。
家族は一緒にいる
病院(入院中でした)の天井が落ちてきて家族を守るのに必死だった
病院はぐちゃぐちゃで強制退院させられた
でも買ったばかりの家が流されちゃった…
ひどいもんだよ
言葉もみつからないですが ホッとしてまた涙が…
『生きている』
命があれば 家族がいれば未来に向かうエネルギーになる。
ただ一人残された人も 辛くて『生』に対して否定したくなるかもしれない 。
でも生きてください。
亡くなってしまった命の分も生きてください。
そして未だ安否確認ができない 仙台のテルミー友達… どうか生きていて。
信じています。
これまで被災された方、亡くなられた方を想い 祈ります。
震災 |
03.13 2011年 |
コメント
コメント(1)
Makky on 2011年3月13日 10:49 PM
仙台の大切なお友達、今日『家族全員無事です』との連絡いただきました!!涙が止まりませんでした。。。