前ウルグアイ大統領のホセ•ムヒカさんをご存知ですか? あたしは恥ずかしながら知ったのはつい最近。深夜にNHKの特集番組をふと見て、大統領クラスの人がこんな質素な暮らしをしてるの?と衝撃をうけました。ぱっと見は可愛らしい田舎のおじいちゃん。小さなお家と小さな庭。同じように年老いた奥様。砂埃が伝わるような町で古い愛車のビートルを運転し、のんびりとした生活の中に新しいものが全く見えてこない。すでにあるもので満足なんだ、と欲求はなく、それなのにとても自由で贅沢な時間と心を持っていてその魅力にどんどん引き込まれました。でも心の中で熱く煮えたぎるような情熱と政治的理念がオーラのようにあふれてその目を見るだけであたしは涙がこぼれました。ずっと追い求めていた人、思想に出会えた喜びと自分自身の貧しさとたくさんの無駄に。

それからネットで検索して彼が世界中に知られた2012年のリオ会議でのスピーチを聞き、来日した際のインタビュー、満員で入りきらない大学での講演、池上彰さんとの対談などムヒカさんを画面上でとことん追っかけました。子どもたちや自分の為に本も注文し、家族でもスピーチを聞き、生きるってこういうことだよと話し合ったり。その度に涙が止まらないんですけど。

彼は80歳。大統領になるまでの壮絶な人生もやはり人のために歩んできています。たくさんの危険や無謀なことも、13年獄中生活も貧しい誰かのため。だからこそ響く彼の言葉。生き様。《世界でもっとも貧しい大統領》と付けられた枕詞。本当のところはちっとも貧しくなんてない。彼自身は誰よりも満たされていて自由で幸せな大統領でした。「貧しい人というのは少ししかものを持っていない人ではなく、欲が多すぎて満足できない人のこと」この消費社会の渦に巻き込まれていたらお金を得ること、ものを買うことに費やし あっという間に私のようにリウマチ持ちの老人になってしまいますよ、と現代の消費社会と環境問題に苦言を呈しています。人生とは有意義な時間であって、溢れるものやお金ではない。でも、この世界は反対へ進んでいる。経済はそうでないと回らないと思い込んでいるのがすでに洗脳なのかもしれない。誰と比べるの?どこまで得れば満足するの?

この服を着たい、これを食べてみたい、ここに行ってみたい。それが自由で誰かと過ごす有意義な時間であればいいのではないかと思う。ただそれがエスカレートして、もっともっととなることやそのために大事な時間や無駄や競争や疎外感を得て、余裕のない生活にしてしまってはもったいない。社会全体がそうなっている中で、選別する目を養うこと。無駄をなくすことが大事なこと。便利な世の中で失ってしまった安全な生活。安くて質の悪い使い捨ての商品。子どもたちが思いっきり遊べなくなった街。限りある資源と限りある時間を意識することに気づかされます。

 

必要最低限で生きることができるチカラ。この世の中に疑問を抱き進むべき方向に修正するチカラ。

安心できる家族と、安心できる食事をして、自分らしい生き方をする。そこから誰かのために出し切る。お金があって満たされているから人に何かできるわけではないし。何もなくても人に何かできる人でいたいと思います。干しかけの洗濯物も明日の約束も、後回しにしていた仕事もとりおきしていた洋服も 今大きな災害に見舞われたらどうでもいいこと。その時にはみんなと助け合って生きていかなければならない。誰かと協力して誰かを助けなければならない。わずかの配給されたおにぎりを家族で分け合わなければならない。化粧もできない、ずっと同じ服のまま汗をかいてもお風呂に入れなくても弱者を優先にサポートしなければならない。

今、まさに熊本ではみんなが試されているんだと思います。その状況下でボランティア活動に参加している人たちには本当に頭が下がりますね。ここで守らなければならない自分の家族があるから簡単に向かえないもどかしさは東日本大震災の時と同じ。ただただその辛い状況でも強く生きて欲しいと願っています。

ムヒカさんから学ぶ生き方はあたしたちがどんな状況に置かれても揺るがない道筋のようにさえ感じています。

まだまだ彼のようには生きられていないけどこれからの人生、いろんなものをそぎ落としてシンプルにそしてテルミーとともに誰かのために生きていこうと思っています。